石原健司先生著「記憶障害の診かた」の書評
以下は石原健司先生著「記憶障害の診かた」について、小林教授の書評です。
本書は神経心理のモノグラフの第一弾として刊行されました。神経心理のモノグラフといえば、同じく医学書院から、河村満先生がシリーズ編集を務めた「神経心理学コレクション」が既に存在します。そのため、新シリーズがいかに既存シリーズと差別化を図るのかが注目されるところです。シリーズ第一弾のテーマに選ばれたのは「記憶障害」。まさに神経心理学の中心ともいうべき症候であり、先行する「コレクション」シリーズには、神経心理学の巨匠・山鳥重先生による名著「記憶の神経心理学」があります。新シリーズで記憶障害を担当する著者のプレッシャーは想像に難くありません。
そう思いながら、本書を手にとってみると、医学書院と河村満先生の巧みな戦略が見えてきます。既存の「コレクション」は神経心理学を科学として深く掘り下げ、臨床家への啓蒙を意図していたのに対し、新シリーズは初学者が神経心理学をわかりやすく学び、「面白い」と感じてもらうことを目標にしているのが伝わってきます。本書の「わかりやすさ」は、数ある神経心理学の教科書の中でも際立っています。まず、「です・ます」調で書かれていることに驚かされます。大きな活字、豊富なイラスト、まるで中学生向けの教科書のようです。専門家向けの内容でありながら、予備知識がほとんどなくても理解できるように工夫されています。
学術書は厳密さを優先するあまり、特に初学者には「わかりにくい」ものになりがちです。中には、難解な説明で本質を曖昧にして、煙に巻くような文章も散見されます。逆にいうと、「わかりやすく」書くことを突き詰めるとごまかしがききません。「中学生にもわかるように書く」というのは、わかりやすさを目指す際のベンチマークの一つです。池上彰さんの説明が多くの人に届くのも、この基準を徹底しているからでしょう。わかりやすさを優先するあまり、物事を単純化しすぎて正確を損なうという落とし穴もありますが、本書は学術的な正確さを妥協せず、わかりやすさを実現している点が特筆されます。
著者の石原健司先生は、私が研修医時代を過ごした亀田総合病院の同窓ですが、長年神経心理の現場で研鑽を積み、この領域の第一人者です。本書の第5章の症例検討では、先生と生徒の対話形式で症例理解が深められるように構成されていますが、ここで解説する「先生」は真面目で優しい石原先生のお人柄を彷彿とさせます。
私自身、高校生のころ、「なぜヒトの脳はものを覚えておくことができるのだろう」と疑問に思い、時実俊彦先生の「脳の話」(岩波新書)を読みました。時実先生の本は名著ですが、当時本書のような本があったらどんなによかったかと思います。記憶について素朴な疑問を持つ中高生が本書を手に取れば、そこに広がる神経心理の世界に思わず引き込まれるでしょう。また、医学部や心理学、言語聴覚士過程の授業の参考図書としても適しています。さらに、脳神経内科、精神科、脳外科といった神経系の診療科で働く医師、看護師、リハビリテーション科スタッフが、肩肘張らずに勉強するのにも最適です。本書はこうした幅広い読者に是非おすすめしたい一冊です。

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